深掘り*タカラヅカ

男役イメージの研究で修士号を取得した筆者が、宝塚をあれこれマニアックに深掘りします。

イメージのズラし/ズレ―男役の女装とファンの意識【オフにおける男役イメージの変遷⑬】

 

 

こんばんは🌛

労働が主体の生活になったり、様々なジャンルのエンタメに手を出したりした結果、本当に久々の執筆になってしまいました~😣

 

相変わらず宝塚には元気を頂いており、先日は『蒼穹の昴』のライビュや、朝月さんのミュサロの配信を拝見しました❄

また来月には、月組さんの全ツで遠征する予定です!

約一年ぶりの生観劇、本当に楽しみです💖

 

 

このシリーズはあと2回分残っているので、もう少し頑張って書きたいと思います💦

 

今までのおさらいはこちらからどうぞ👇👇

natsu3ichi.hatenablog.com

 

 

 

 

 

卒業後に男役がスカートを履くと絶対○○になるアレ

さてさて、⑫までのような流れでオフにおける男役イメージは形成されてきたのですが(ざっくりすぎる)、

「男役らしいアイテムを着用する」「スカートを履かない」「肌の露出をしない」といった意識をもとに男役自身が創出する男役イメージは、現代において大変強固なものであると考えられます。

 

それはトップスターが退団後にスカートを着用して公の場に出た際に、そのことが必ずと言っていいほど記事として上がるという例からも分かるでしょう。

 

例えば、こんな記事があったりとか・・

www.zakzak.co.jp

mdpr.jp

music-book.jp

 

 

 

イメージの「ズラし」―男役の女装

繰り返しますが、男役さん自身は努力して隙のない男役イメージを作ろうとしておられます。

興味深いのはそれにもかかわらず、男役を取り巻く現象に関しては依然として「イメージのズラしやズレ」が存在するという点です。

 

まずは「ズラし」について、男役の女装を取り上げます。

 

オフにおいて男役がスカートを身に着けず、完全な男役イメージの演出にこだわっている一方で、女装する際にはスカートを着用することがありますよね。

気の強さやかっこいい雰囲気、パンツスタイルなどで男役の香りが残っている場合もありますが、『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラのフリフリのドレスなど、中には思いっきり男役のイメージからは外れるものもあります😅

 

また男役に女性の役や役割をあてがって女装をさせるのは、言うまでもなく劇団側です。

このように、劇団によってイメージの「ズラし」が行われ、男役イメージが破壊されることも頻繁にありますよね。

 

 

 

イメージの「ズレ」―ファンは男役をどう捉えているのか?

次に、ファンは男役をどう捉えているのか?という点についても触れたいと思います。

 

皆さまは、ご贔屓の男役さんをどのような存在として応援していらっしゃいますか?

「とにかくお綺麗で憧れの人」「夢の実現に向けて頑張っておられる、尊敬すべき方」「いつも元気を与えて下さる方」「癒し」etc…

 

ここで「理想の男性」と答える方は、実際のところ殆ど居ないのではないでしょうか。

(中には、所謂ガチ恋の方もいらっしゃるかもしれませんが…)

 

このように、私たちはオフであっても男役にそれらしいイメージを求める一方で、決して男役を男性の代替物であるとは見ていないという、これまた面白い現象が起きていると思うのです。

 

 

 

アカデミックな書籍においても、ファンが男役をどう捉えているかについてはしばし言及がなされていまして…

例えばロバートソン氏は著作『踊る帝国主義―宝塚をめぐるセクシュアルポリティクスと大衆文化』において、以下のように語っておられます。

 

私が文献を調べ、インタビューを行ったところでは、年齢・階級・学歴の別なく、どの女性ファンも男役を理想の男とは考えていない。むしろ、女性の肉体を持ちながら因習的な男女の特性にとらわれない役の演じ手として畏敬の念を抱いている*1

 

以上より、ファンは男役を理想の男性として捉えるのではなく、既存の男女にとらわれないような存在として畏れ敬っているというファンの一意識が分かります。

 

 

加えてFC内においては、それとはまた異なった形で男役を見ているファンも存在するようです。

そういった人たちはタカラジェンヌを自身の身内や子どもとして扱っており、その男役を「ちゃん」づけで呼ぶなど、保護者感覚で応援している*2というのです。

 

またこの「ちゃん」づけという現象は、ファンクラブのメンバーだけでなく、ファンクラブの運営側が行っている場合もあります。

 

その例として、美弥るりかさんの現役当時のFC「FANCLUB RURIKA」における、美弥さんの呼び方を確認します。

そのために美弥さんのお茶会にて配布されたプログラムを確認すると、美弥さんの入退場は「るりかちゃん入場」「るりかちゃん退場」と記されているし、その下に記載された諸注意においても、「るりかちゃんへのプレゼントやお手紙は、受付にてお預かり致しております。」*3とあります。

タカラジェンヌのお茶会のプログラムを修士論文の参考資料に使ったの、おそらく世界中で私しかいないし、資料を集める中で最後はヅカヲタとしての自分が勝ったと思った🤣)

 

 

したがって、FC内において美弥さんは「るりかちゃん」とちゃんづけで呼ばれていたことが分かります。

このような場合は、自身の子どもや身内として男役を応援するような意識が、FCに所属するファンの間においても共有されていくでしょう。

 

上記を踏まえると、男役を男性の代替物として見ているようなファンの意識は決して読み取れず、男役とファンの間でイメージの「ズレ」があると言えます。

 

 

 

以上のように、劇団やファンという男役を取り巻く存在を加味すれば、そこにはイメージの「ズラし」/「ズレ」が存在し、現在の男役イメージは複雑な諸相を成しているということが指摘できます。

(この点はもっと論じてと先生からご指摘頂きましたが、残念ながら修士論文内では書けなかったので、一生かけて考えたいと思います)

 

 

男役イメージはただ男役自身だけでなく、劇団やファンも合わさって形成されるという点が重要ですね✏

いつかのパワーポイントで作った図が役に立った…😉

 

 

 

次回はいよいよシリーズ最終回!!

全ヅカヲタが衝撃を受けた、『宝塚グラフ』2022年1月号のあのポートレートについて考えます🌸

 

 

 

 

ここまで読んで下さって、本当にありがとうございます✨

 

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*1:ジェニファー・ロバートソン『踊る帝国主義―宝塚をめぐるセクシュアル・ポリティックスと大衆文化―』堀千恵子訳、現代書館、2000年、p.113

*2: 宮本直美『宝塚ファンの社会学 スターは劇場の外で作られる』青弓社、2011年、p.152

*3:『Anna Karenina』Rurika Miya Tea Partyプログラム、Fanclub Rurika、2019年