男役も脚を出す★ミニスカートの流行(1960s)【オフにおける男役イメージの変遷⑦】
こんばんは👒
今回は戦後の男役ファッション、特に1960年代に流行したミニスカートについて書いていきます💕
男役さんも当時は、ミニをはいて脚を出していたんですよー!
日本においてミニスカートが発売されたのは、1965年のこと。
しかし男役たちは、その最新アイテムをすぐさま取り入れたわけではありませんでした。
お洒落に敏感なタカラジェンヌなら、流行をすぐに取り入れてもおかしくはないかも…
なぜでしょうね😮❓
ここには前回の⑥の内容も関わってくるので、繋げて考えてみて下さいね🌟
戦後の女性とパンツスタイル
ミニスカートの話題に入る前に、まずは戦後における女性のパンツスタイルについて確認しておきます。
これは①でも触れたことですが、
今でこそオフの男役はパンツスタイルが主であるものの、1960年代までほとんどの男役はスカートを履いていました。
では当時、女性のボトムスはスカートしかなかったのでしょうか?
実際のところは、そうではありません。
戦後の女性服におけるパンツに関しては、以下のように説明がなされます👖
戦時中におけるモンペズボン着用の経験が尾を引いて、戦後の婦人服には、ごく実用的な服種としてのストレートなシルエットのスラックスは完全に定着していた。しかしそれはあくまで実用着であり、ワークウエアであって、タウンウエアではなかった。したがって街中で目につくものではなく、流行とかお洒落の話題になるものではなかった*1。
つまり、当時の女性もパンツを履くことはありました。
しかしそれは実用着であって、決しておしゃれ着ではないという点が重要です。
この実用着/おしゃれ着という観点は、次回キーポイントになってきますよ~☝
男役とパンツスタイル
では、男役の場合はどうだったのでしょうか?
1960年代の『宝塚グラフ』をめくってみると、当時のポートレートにはパンツスタイルの男役は、ほとんど確認できません。
これは、パンツがおしゃれをして着用するようなアイテムではなかったからというのが、大きな理由でしょう。
また『宝塚グラフ』1960年7月号には、男役におけるパンツの認識がどのようなものであったかが伝わる記事が、二点掲載されています。
①「家に居る時は…」
タカラジェンヌが、お家での過ごし方を紹介するこのコーナー🏠
(もちろんお部屋のお写真付き😉)
今回のゲストは、男役の末広栄さん。
部屋でしっとりとポーズを取る彼女。おやおや、パンツを着用していますよ…⁉
ですが写真と共に掲載された文章には、
夜はラフなズボンスタイルにくつろぎ、専ら本を読んだりラジオを聞いたり……*2
とあります。
つまり彼女は、夜に家でくつろぐためにパンツを履いていたのでした!🏘
②「藤里美保に関する十二のメモ」
今でもよくあるような、幾つかのワードについてスターが語るコーナー。
今回取り上げられたのは、当時人気を博した「マル・サチ・オソノ*3」の、「オソノ」こと藤里美保さん✨
「服装」の項目の中で、パンツに関しては以下のような記述がありました📝
よく男役の人達はズボン姿で通っていますが、「私は神戸から通学してるでしょ、だから電車の中などズボン姿では何かテレ臭いような気がして、未だに一ペンもその姿で通ったことがないの、いつもお稽古場で着替えてる」という処など、オソノって案外お洒落な人なのかも知れません*4
以上より、稽古場において男役はパンツを着用していたことが分かります。
しかし「その姿を公の場で晒すのは抵抗がある😓」という、藤里さんのパンツに対する捉え方が読み取れますね。
以上の二点を踏まえると、当時は男役もパンツを着用することはありました。
ですが部屋着であったり稽古着であったりと、世間の女性と同じくやはりそれは実用的なものであったことが理解できます。
「良家の子女」はミニスカNG⁉
ここからは、今回の本題であるミニスカートの話へと入っていきます🌠
1960年代のモードといえば、ミニスカート♥
ミニスカートの実例:
*ミニスカートブームのきっかけになった、モデルのツィギー
「ヒザ小僧まる出しのかわいいモード」というキャッチフレーズで、「テイジン・エル」が膝上10センチのミニスカートを発売したのは、1965年8月のことでした*5✨
しかし同年10月号の『宝塚グラフ』を見てみると、男役のスカート丈は膝を隠すような長めのものばかりです。
よって、ミニスカートという発売されたばかりの最新アイテムを、男役たちがすぐ取り入れたというような形跡は見られません。
あれれ、すぐに流行の影響があったわけじゃないのか…🤔
この現象は発売当時、世間がミニスカートをどう捉えていたかが理由であると考えられます。
具体的には、大方の意見は反対論であり、その理由の一つは、膝頭を出すことはエロティックであり、羞恥心がそれを許さず、良家の子女の着用すべきものではないというものでした*6。
つまりミニスカートは発売当時、タカラジェンヌが目指す「良家の子女」イメージに反するファッション・アイテムであったと言えます。
ミニもオッケーに👌
しかし、2年後の1967年のグラフを開くと…
なんと、膝もあらわなミニスカートを着用したポートレートが登場しています〜😳
この転換には、世間のミニスカートに対する認識の変化が関わっていると考えられます。
実際のところ1967年には、夏に向かって若者の間ではファッションとしてかなりの流行となっており、識者たちも半ば容認という方向へ傾き出していた*7そうです!
ミニスカートに対する世間の意見が変わったからこそ、「良家の子女」であるタカラジェンヌもミニスカートを履くことができるようになったのですね⭐️
そしてこのように、タカラジェンヌのファッションには世間のあれこれが関わってきているということが、よく分かります。
次回は、1970年代へと時代が移ります🌟
ついに男役の間で、パンツスタイルが定着しますよ~👖👖👖
また女性のパンツスタイル定着に大きな役割を果たした、フランスのとある有名ファッション・デザイナーも登場します👓
スカート→パンツへの移行がなされる、このシリーズの大きな盛り上がりポイント‼
どうぞお楽しみに💖
⑧はこちら👇
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