女学生からお嬢さんへ*戦後のイメージ転換【オフにおける男役イメージの変遷⑥】
おはようございます🌸
戦前の男役についての回が⑤で終わり、
今回からはファッションが目まぐるしく移り変わる、戦後の男役について書いていきますよ~👔
ファッションに関して、戦前と戦後で大きく変わった点といえば…?
そう、洋服です👗
戦後洋服が広まる中で、『宝塚グラフ』におけるオフのポートレートにおいても、袴でなく洋服を着た姿が中心となっていきます!
ところで、戦後においても劇団はタカラジェンヌに、③で確認したような「良家の子女」イメージをに持たせる方針を取ります。
しかし時代の変化から、袴姿でそのイメージを作ることは難しくなってしまいます😰
そこで、劇団が代わりに取った「良家の子女」アピールの方法とは…⁉
「良家の子女」の変化
まず注目したいのは、タカラジェンヌにおいて演出されていた「良家の子女」イメージの指す内容が、戦前と戦後で少し異なっているという点です。
③で確認した通り、袴を制服として定めたように、タカラジェンヌに与えられたイメージは女学生でした。
つまり戦前の「良家の子女」とは、「女学校に通うような良い家柄のお嬢さん」というものでしょう。
一方戦後における「良家の子女」は、「豊かな暮らしをしている裕福な家のお嬢さん」を指します。
この転換は、戦後洋服が広まる中で、袴というファッションを使って「生徒」イメージを作るのが難しくなってしまったのが理由だと考えられます。
(そもそも戦前のような女学生ブランドが薄まったとか、女学校の制服が袴ではなくなったという要素も考えられますが)
タカラジェンヌの家庭訪問
では、劇団は袴の代わりに、どのようなものを使って「良家の子女」アピールを行ったのでしょうか?
これを紐解くために、さっそく1960年の『宝塚グラフ』を開いてみましょう!
戦後の『宝塚グラフ』において頻繁に掲載がなされたコーナーの中に、タカラジェンヌの実家やお部屋を紹介するものがあります🏠
そこに掲載された写真からは、彼女たちの家庭の物質的な豊かさや、それらを揃えられるだけの裕福さが伝わってきます…✨
例えば1960年9月号の『宝塚グラフ』には、水原節子さんの実家を紹介した写真がされています。
そこには、当時流行であったこけしなどの人形がズラリ‼
その物量には圧倒されるばかりです😳
また実家だけでなく、タカラジェンヌが暮らすお部屋を紹介した写真も、多数掲載されています。
そこにはテレビやピアノといった家電や楽器が置かれたものも沢山あり、彼女たちの裕福さが伺えます📺🎹
このような写真は1970年代初めまで存在しており、それほど人気のコーナーだったのでしょうね…😌💓
暮らしが明らかになる写真の機能
このような実家や自室が丸ごと映された写真は、タカラジェンヌが生まれ育ち暮らしている裕福な家庭の存在をリアルに想起させるとともに、
彼女たちが文字通り「良家の子女」であることを読み手に植え付けます。
現代において、タカラジェンヌのお部屋の写真はすみれコードによって掲載されないので、こんなのをグラフに載せちゃっていいの⁈と驚きますよね😲
ですが当時は「良家の子女」イメージを形成するために、暮らしの様子が明らかな写真が必要だったのでしょう。
「良妻賢母」イメージ
タカラジェンヌに与えられたイメージとしてもう一つ、「良妻賢母」があります。
このイメージの演出も、実家での写真において確認できます。
例えば1960年7月号では、那智わたるさんが実家に帰省し、エプロンを着けて家事労働にいそしむポートレートが掲載されていました🍳
このような写真はタカラジェンヌに、結婚後は「良妻賢母」となるような女性であるというイメージを付与するでしょう。
(それにしても、今はこんな男役スターの姿見たくね~って感じじゃないですか😓)
次回からは、男役のファッションの移り変わりを詳しく見て行きますよ~🔍
⑦では1960年代に流行した、あのアイテムが登場します🎀
お楽しみに★
60年代のファッションを先取りしたい方はこちら⇩
⑦はこちら💁♀️
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