武蔵が彫った仏像とは?
こんばんは🌙
劇中では、珠城さん演じる宮本武蔵が仏像を彫るシーンがありました。
実は一口に「仏像」と言っても、そこには沢山の種類があります。
そこで今回は、
・武蔵が彫った仏像はいったいどんなものなのか?
・そこから見えてくることはあるのか?
について語りたいと思います✨
1.仏像の種類と形式
とりあえず、大学の博物館実習の授業で使った、「仏像の種類と形式」というプリントを引っ張り出してきました。
それによるとまず、仏像は大きく4種類に分けられるそうです。
①如来
まずは如来について。
如来とは、悟りを開いたものです。
そのため像には、悟りを開いた証である三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅこう)があります。
具体的には、長い髪が一本一本まとまった螺髪(らほつ)や、頭の肉が盛り上がった肉髺(にっけい)などがその証です。
また身体にアクセサリーはつけておらず、俗世の迷いや欲をすべて捨て去った姿をしています。
そして釈迦如来・阿弥陀如来・薬師如来など、如来の中にも様々存在します。
②菩薩
(星組の『GOD OF STARS-食聖-』では漣レイラさんが日光菩薩を、ひろ香祐さんが月光菩薩を演じていらっしゃいましたね~!)
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次に菩薩について。
菩薩とは、悟りを開くために修行するものです。
「如来と人間の間」ともされます。
菩薩も如来と同じように、一見頭が盛り上がっているように見えますが、菩薩の盛り上がりはただ髪の毛をまとめているだけだそうです。
また、瓔珞(ようらく:ネックレス)や腕釧(わんせん:ブレスレット)など、アクセサリーをたくさんつけていることが一般的です。
そして、たすきのような条帛(じょうはく)や、ショールのような天衣(てんね)といった、ひらひらした衣服をまとっています。
如来と同じように、文殊菩薩・弥勒菩薩・地蔵菩薩など、菩薩の中にも様々存在します。
③明王
例:東寺 不動明王坐像
明王は密教*1における尊格及び称号で、怒りの表情が特徴です。
その中でも有名なのが不動明王で、手には宝剣や絹索(けんさく:縄)といった武器を持っています。
④天部
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最後に天部について。
天部は、古代インドの神々が仏教に取り入れられたものです。
武装した姿の四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)や、女性の吉祥天・弁財天などが挙げられます。
2.左の仏像:弥勒菩薩
仏像について少し詳しくなったところで、ここからは実際に武蔵が彫った仏像を見ていきましょう!!
まず、一番左の仏像についてです。
みなさんは、歴史の教科書や資料集で、これと似たような仏像を見た覚えはないでしょうか…?
…そう、こんなものを。
特徴的なポーズから、一番左の仏像は弥勒菩薩であると推測できます。
3.右の仏像:不動明王
次に、一番右の仏像について。
怒りの表情や、手に剣と縄を持っている点から、一番右の仏像は不動明王であると推測できます。
4.真ん中の仏像:菩薩だけど…
さて、残るは真ん中の仏像。
螺髪ではなくお団子ヘアーであるという点や、アクセサリーをたくさんつけている点、そして条帛や天衣を身にまとっているという点から、この仏像が菩薩であることは間違いなさそうです。
問題は、菩薩の中でも何菩薩であるかということ。
色々調べてはみたものの、残念ながら私の力ではよく分からず…
そこで仏像に詳しい方に聞いてみたところ、「菩薩ではあるが、何菩薩とまではっきり断定できる要素がない」とのことでした。
なので、「この仏像は菩薩である」というのが結論になります。
(今回教えていただいたことにより、長年のモヤモヤが消えたので、感謝感謝です…<m(__)m>)
5.仏像の種類から言えること
以上、3つの仏像が一体どのような種類のものであるかが明らかになりました。
劇中にはもう一つ、珠城さんが実際に彫っていた小さな仏像がありましたが、これはフォルムからして地蔵菩薩かなと思っています。
(写真撮り忘れました。。。)
(地蔵菩薩は、所謂「お地蔵さん」です。)
それも含めると、武蔵が彫った仏像は
菩薩:三体
明王:一体
と整理できます。
注目すべきことに、彫った仏像のなかで如来は一体もなく、菩薩が多くを占めていますが、これには武蔵が修行中の身であることが関係していると考えられます。
劇中では"無双"となるべく、常に高みを目指して修行を重ねる武蔵の姿が描かれていました。
また仏像を彫っているときの武蔵は、剣とは無縁の生活を送っていましたが、内心では小次郎に勝利して"無双"に達することを望んでいました。
半ばこじつけにも近いですが、仏における「悟り」=武蔵における「無双」と捉えることも可能ではないかなと思っています。
1で触れたように、如来は悟りを開いたもの・菩薩は悟りを開くために修行するものでした。
よって、「命奪った者たちの供養ともなれば」と武蔵は仏像を彫っていましたが、
・仏像の中に如来がないのは、武蔵がまだ"無双"の域に達していないこと
・菩薩は、武蔵が"無双"に達するために修行中であるということ
を示していたのではないでしょうか。
また不動明王は、修行者を見守るものであるとされています。
武蔵が選んだ修行の道も厳しいものでしたが、それを見守る役割として、不動明王が登場していたのではないでしょうか。
(そして小次郎を倒してもなお、武蔵は如来になれないのであった…)
おわりに
私は西洋美術の方が断然好きなので、仏像についてはあまり詳しくありませんでした。
なので今回のブログを書くにあたっては、調べることが多かったです。
ありがとうサイトー先生…
先生のお芝居のおかげで、仏像について色々勉強になりました…
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